男女の関係性の変化 「自分じゃなくてもいいんだろうな」

男女の関係性の変化

人間関係のあり方が昔と今とでは随分変わってきている、ことは誰もが多少なりとも感じていることだと思います。学校でも、職場でも、地域でも。

そこで、なかでも男女の関係性の変化について、特徴的でわかりやすい話があったので、紹介します。

宮台真司 著『日本の難点』から要約

  • 昔は人間関係自体が希少だった。
    そのため空間的な「近さ」や血縁的な「近さ」が大きな意味を持っていた。
    しかし今は移動や通信が自由になったため、特定の人と深く関わることは
    ヘタをすると「ストーカー扱いされる」ようになった
  • 今世紀に入って喜ばれているマンガや映画や小説やテレビゲームなどの
    コンテンツに共通しているのは「事件の羅列」もしくは「シーンの羅列」。
    濃密な人間関係の物語は、その経験がない現代の読者には理解されない。
    そのため今は従来の「 ディープな関係の履歴」ではなく、
    「ディープな事件の羅列」が求められている。
    「レイプ」とか「ガン」とか「不倫」とか
  • 現代の男女関係は、可愛いだとか金があるだとかといった「属性」に依存する関係が専ら。
    しかも昨今の性愛市場は流動性が高いため、すぐに別の相手が見つかる。
    困難で挑戦的であったハメ撮りも、80年代半ば以降は全てが
    「仲良くなりました記念写真」になり下がった
  • だからお互いに「自分じゃなくてもいいんだろうな」と思えてしまう。
    結果、若者は「彼女はいても心は非モテ」という自意識になり、
    中年以降では「金の切れ目が縁の切れ目」で孤独死や自殺が増えている


いわゆる「フラットな〜」などと言われる関係性です。何年か前までは「ドライな〜」とよく表現されていたように記憶していますが、いつの間にかそんなことを言う人はいなくなってしまいました。恐らく、ドライと表現できるほど一部の人たちの間にだけ存在する関係性ではなくなってしまったからなのでしょう。社会全体に存在している人間関係を「ドライな関係性」などと表現したら、まるでただの悲観論者みたいですから。

とはいえ、今は一緒に遊んだり酒を飲んだりする相手もいっぱいいる若者ですら「俺には友だちがいない」と言っていたりします。そんな人間関係の中で生きていれば、自分の人生が上手くいっている間は「フラットで快適な人間関係」と言えるかもしれませんが、人生につまづいたりすることがあればそれは一気に「ドライで非情な人間関係」にしか感じられないであろうことも事実です。

こんな時代に、人間的な楽しみや幸福感をどう得ていくか。一部の人とだけでいいから、温かい、フラットでない人間関係をどう築いていくか。普通に生きていくだけでも、いや、普通に生きていくことは限りなく容易になった時代であるからこそ、そんな中でいかに幸せに生きていくことができるか。「幸福力」みたいなものが求められる時代になってきているように思います。

 

フォロー/Feed

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。