努力や苦労は僕の指針に反するんです

西田武生

西田武生 ファッションデザイナー

周りは僕がいろいろ大変な目にあったりするものだから、僕のことを「努力家ですね」と言うんですよ。あぁそうかな、と素直に受け止めていますけど、本当は苦労しているなんて思ったことはありません。

努力というのは、どこかに悲壮感があるじゃないですか。それは僕の指針に反するんですよ。

月刊誌『致知』2014年8月号より

若い頃から生涯現役を宣言されていた西田さん。日本におけるファッションデザイナーの草分け的存在でありながら、自分の年齢を意識するようになったのはなんと80代半ばになってからとのこと。

さすがに現在92歳という年齢にもなると『あとどれくらい社会に奉仕することができるかと考えるようになりました』とのことですが、それでも『最後の最後までこの神様から与えられた仕事を生ある限り全うする』という思いでいらっしゃるとのこと。

『努力というのは、どこかに悲壮感があるじゃないですか。それは僕の指針に反するんですよ』
……かっこいい。

西田武生(にしだ・たけお)
大正11年富山県生まれ。昭和13年伏木商業学校卒業後、横浜造船横浜工場に入社。15年伏木港の税関貨物取扱人になる。19年中国北東部へ徴兵応召。22年大和高岡店に就職。26年状況の後、28年みくら入社。37年西田武生デザインルームを創設し、ブランド「タケオ ニシダ」を立ち上げる。平成24年新ブランド「レディニシダ」を始動。

10代の頃は上野の美術学校(現・東京藝術大学)に通う兄の影響で絵描きに憧れていた。しかし父から西田家に絵描きは二人もいらないと反対され、商業学校に入学。それでも学生時代は美術クラブに入部して美人画ばかりを描いていた。

学校卒業後は芸術家になる機会を窺いながら会社勤めを始めるが、終戦間近の昭和19年、22歳の時、終戦前最後の召集で召集令状が来る。ここで、病気で離れた部隊が後に全員戦死したり、入院していた病院が移動した後に爆撃で全壊したり、という偶然が重なり、「人には与えられた運というものもある」ということを感じるようになる。

終戦後は地元の百貨店に就職し、ここで婦人服に興味を持ったことがきっかけでデザイナーを志すようになる。昭和26年、職場で出会った夫人とともに上京。

生活のために洋裁店のポスターや女性服のポスターを描く仕事をする一方で、独自にデッサンの勉強をするなどしてデザイナーとして歩むチャンスを窺う。

上京してから半年後、伊勢丹が主催するデザインコンクールに応募し、「特選」に選ばれる。その後も婦人服のコンクールに応募する度に入選して名前が知られるようになり、後に高級既製服店「みくら」から声が掛かり同社に入社。後に独立し、現在に至る。

デザインで特に強く影響を受けた人物としてはクリスチャン・ディオールとココ・シャネルを挙げる。これまで美空ひばりや秋篠宮妃紀子様など、各界の著名な方々のドレスなどもデザインされてきた、日本におけるファッションデザイナーの草分け的存在。

 

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