頭のいい人と悪い人の違いについて|頭をよくする方法

頭のいい人と悪い人の違い|頭をよくする方法

頭のいい人と悪い人とでは、ちょっと突っ込んだ話題になるとすぐ会話がいまいち成立しなくなってしまいますよね。

なぜ会話が成立しないのか?それを妨げているものは「認識力の差」ではないかと思ったので、そのことについて記事にしてみます。

もしこの気付きが正しければ、これを逆手に取って「認識力を高めれば頭をよくすることができる」とも言えるので、関心のある人は参考にしてみてください。

「頭が悪い」とはどういう状態か?

少し面倒だと思いますが、感覚的に理解するために、先に以下の引用文を読んでみてください。

 ここで問題になるのは、それでは純粋な認識と経験的な認識を確実に区別しうる徴表(しるし)はどのようなものかということである。たしかに経験はわたしたちに、あることがこれこれのものとして起こりうるということ[事実性]を教えてくれるが、それがそのようなものとしてしか起こりえない[必然性]ということは教えてくれない。だから[このように経験的な事実には必然性は伴わないということから]第一に、ある命題が同時に必然的なものとして考えられる場合には、それはアプリオリな判断であるとみなされる。さらにこの命題そのものが、別の必然的な命題からしか導かれない場合には、この命題は絶対的にアプリオリなものである。

純粋理性批判〈1〉 (光文社古典新訳文庫) Immonuel Kant /中山元・訳 より

上記の文章は、引用元の本を読んだことがある人でなければ誰もが途中から何を言っているのか分からなくなると思います。それはなぜかと言えば「命題」であったり「アプリオリ」であったりといった単語がどのようなものを指しているのか即座にイメージできないからです。

頭の悪い人はイメージができない

イメージできる/できない、の差。途中をすっ飛ばして端的に結論を言ってしまえば、これこそが頭のいい人と悪い人の会話の成立を妨げている最大の要因なのではないかと。

もちろん知識の差もあります。ある単語から何かをイメージできるかどうかは、その単語に対する知識の有無が関係していますので。でもその知識として知っているか否かも含めて、それは「認識力の差」であり、この差が、頭のいい人と悪い人との会話の成立を妨げています。

頭が悪い人の持つ知識は狭義的で不正確

たとえば次のような、特別難しいことがないように思える文章でも、“差”は生じます。人によって認識力に差があるから、同じ文章を読んでもそこから受け取る認識(イメージ)には違いが生じるわけです。

 ほとんどの人は「しあわせに、なりたい、なりたい」と言いながら、平気で不幸になることをしています。
 しあわせには“しくみ”があるんです。
 本当にしあわせになりたいなら、本当の「しあわせ法則」を知らなければなりません。
 さぁ、本当のしあわせ探しの旅に一緒に出かけましょう。

変な人の書いた世の中のしくみ 斎藤一人 サンマーク出版 より

たとえば「しあわせ」という単語から、幸せというものをどうイメージするか。この認識力の差によって、この文章から受け取る“認識”には個人差が生じます。

「幸せ」は、ある人の認識では「お金持ちになること」かもしれないし、またある人の認識では「悩みが何も無いこと」かもしれない。またある人の認識では「幸せと思えることが幸せ」だと定義しているかもしれません。

人によってパターン認識量が全然違う

「幸せ」のような概念的な単語をどう定義するか。これは人によってかなり違いがあるであろうことを想像しやすいかもしれません。でもそんな難しめの単語だけに限らず、あらゆる対象に対しての認識が人それぞれでずいぶん違うものです。

たとえば「海辺の夕焼け」と聞いて、そこから「ロマンチック」という認識しか浮かばない人もいるかもしれません。「美」や「哀愁」のようなイメージまで認識できる人もいます。もしかしたら「生命の連続性」のようなものまでイメージする人もいるかもしれません。頭のいい人ほどイメージのオプションは知識や経験として豊富にストックされています。

認識が違うから、伝えたいことが伝わらない

『研究に行き詰まって突破口が見えなかった僕は、夕焼けのなか海辺を歩いた』

この文章を読んだ時、先の「ロマンチックとしか認識できない人」の場合であれば、「感傷に浸っている自分」をイメージするでしょう。

でも「生命の連続性までイメージできる人」の場合であれば、かなり多様な解釈が考えられます。「ただ歩きたかったのかもしれない。でも本心では、不安や焦り、落ち込む気持ちを抑え、自然の中に答えを求めに行ったのかもしれない……」

認識力に差があるから、何気ない会話の至る所に「認識の違い」が生じてしまい、その連続で「会話が成立しない」ことが起きてしまいます。

これが、頭のいい人と悪い人の違いは認識力の差ではないかという主張の根拠です。

では、頭のいい人、認識力の高い人間になるには、どうしたらいいか。
ここからが本題になります。

認識とは感受性と知性

認識とは何なのか。それは「感受性と知性」だと言えます。

感受性

感受性とは、受け取る性(さが)。情報を入力する性です。
色、形、匂い、言語、…などといったものが主に感覚器官を通して私たちに入力されます。

感覚器官を通して受け取る情報は万人に共通ではありません。あなたが朝日が昇るのを見て爽快な気分を感じたとして、しかし同じ光景を見て誰もが同じ気分になるわけではない、ことがその一つの例です。大きな悩み事を抱えていれば、隣で同じ光景を見ていても何も感じないかもしれません。

知性

知性とは、受け取ったものに意味を与える性(さが)。認識を出力する性です。
可愛い、好き、美しい、美味しい、…などなどなどといったものがイメージとして出力されます。

これら感受性と知性の働きの連続が、私たちが認識と呼んでいるものを形成しています。

認識の違い|感受性や知性に個人差がある理由

人によって認識に差があるのは、感受性と知性に個人差があるからです。

解像度の違い

たとえば観察力が低ければ、受け取る情報の量は少ないものになってしまいます。これは言うなれば「解像度が低いモニター」のような感じです。目の前に広がる現実世界の鮮明さが人によって、また場面によって、違うということです。この違いが感受性や知性に違いをもたらします。

何気ない会話からでも相手の趣味趣向を何となく把握できる人もいれば、まったくそんなことはできない人もいます。これは人によって観察力が違うからです。

また対象次第でも変わってきます。好きなあの子が髪型を変えたのには気付けるのに、興味ない子が髪型を変えたことには気付けないのは、対象によって観察力の違いが生じているためです。

メモリ容量の違い

また、情報処理能力が低ければ、受け取った情報を処理し切れなくなってしまいます。これは喩えるなら「メモリ容量が小さいパソコン」のようなものです。これもやはり、感受性や知性に影響してきます。

子供は感受性が高く知性が低い

たとえば天才的に頭がいい子供の場合、解像度が高いうえにメモリ容量が大きく、認識における感受性の部分はとても優れていると言えます。

ただ、とはいえそれでも子供は子供。話していれば「天才とは言ってもまだまだ子供だな」と思えるような部分は多々あるはずです。なぜなら受け取ったものに意味を与える性がまだ十分に発達していないからです。

知性は経験|学習とパターン認識

知性は過去の経験です。受け取ったものに意味を与える、つまり認識を出力するというのは、過去の経験から連想していくしかありません。一般的に、初めてのことや経験の浅いことに対して緊張したり怖気づいたりするのは、その先が連想できないからです。

パターンを連想する力が低ければ、受け取った情報から認識を生み出せません。これは言うなれば「パソコンのCPU速度が低い」ような感じです。

同じことを学習してきたはずでも人によって応用力に差が出るのは、今現在受け取っている情報や過去に経験してきた認識を記憶から読み込んだり書き出したりする速度が遅いこと、が一つの原因になっています。

これら解像度、メモリ容量、CPU速度などのようなある種の“性能”の違いが相互に影響し合って、人それぞれの認識に違いを生じさせ、その結果、現在の頭の良し悪しの差を生じさせています。

しかも残念なことに、認識力の違いによって「過去の経験(パターン)」としてデータベースに貯まっていく“認識”の量も質も、その差は時間とともに加速度的に開いていってしまいます。幼いころには会話が成立した相手とでも、年齢を重ねるごとに会話が成立しづらくなっていってしまいます。

頭をよくする方法

1つ目のカギ|生の密度

頭をよくするには感受性を高めなければなりません。

感受性が高い状態というのは、子供の身体をイメージすれば理解が早いかと思います。免疫力が低く、再生能力が高い。良くも悪くも何でも吸収し、何か傷を負っても大人に比べたらかなり早く治ります。すぐ傷つくけれども、泣いていたかと思ったら急に笑い出したりします。

これが大人になると、感受性は鈍くなります。自宅玄関の扉のデザインですら思い出せないほど、目の前の世界の解像度は下がってしまいます。そして、たとえばたかが失恋ごときの胸の痛みも、癒えるのに場合によっては数年という時間がかかるようにもなったりします。(怪我の痕がずっと残るような感じ)

精神的イベント

ところがそんな大人でも、たとえばまた誰かに恋するという精神的イベントがあると、低くなっていた解像度が一時的にでも高まったりもします。

この感受性の高い低いの違いを私は「生の密度の違い」と呼びたいと思います。誰かに恋するという精神的イベントがあると、一時的にでも生の密度が高まり、それによって解像度も高まったりします。

生の密度をいかに高い状態に保てるか

子供の体や精神はまだ小さく幼い。だから生の密度が高く、そのため体の表皮は柔らかくて傷つきやすく、しかし再生能力が高い。心も柔らかくて免疫がないから傷つきやすく、しかし再生能力は高い。目の前のあらゆるものが刺激的に映り、観察力や好奇心、意欲がどんどん湧き上がってきます。

それが大人になるにつれ生の密度が下がり、硬くなり、再生能力も低くなるために故障しやすくなります。心も柔軟に他を受け入れることが難しくなり、また考え方や心の持ち方といった方向性のようなものも、再生能力が低くなっているために修正が効きづらくなります。そのため気付かないうちに感受性が低くなってきてしまいます。

頭をよくするためには生の密度をいかに高い状態に保ち、すなわち感受性をいかに高い状態に保てるかが、一つの重要なカギになります。

2つ目のカギ|生の経験値

知性の高い状態というのは、過去に積み上げてきた経験のデータが大量にあり、そして同時に何か新しいものに出会った時にその新しいものの中から過去の経験のデータと通底するパターン・法則性を見出したり、無意識下で認識している何らかのパターン・法則性に基づく過去のデータをすぐに引っ張り出してこれる状態のことを言います。

過去の経験の量と質

これは過去の経験から蓄えられているデータの量と質(認識の正確さ)によるところが大きいため、幼少期は低く、大人になるにつれて高まっていくものです。

この知性の高い低いの違いを私は「生の経験値の違い」と呼びたいと思います。解像度が高ければ高いほど、一つのことから得られる経験値も高いものになります。人生の中で学習してきたものが多ければ多いほど、経験値は高まります。

これは俗にいう経験とは違います。同じ世界一周という経験でも、そこから得る(学習する)内容は人によって全く違います。タイプも違ければ鮮度(深さ)も違う、つまりは被写体も違ければ解像度も違うからです。また小説や漫画を読むことも一つの経験と言えるからです。

生の経験値をいかに高めていけるか

大人になるにつれて、良くも悪くも経験からの判断ができるようになってきます。学んで積み上げてきた経験値が高まれば高まるほど、受け取ったものに与える“意味”の、自分にとっての正確性が増します。

頭をよくするためのもう一つの重要なカギは、生の経験値をいかに高めていけるかになります。

密度を高く保ち、経験値を高めていく

集中する|生の密度を高く保つために

生の密度を高く保つためには、生のエネルギー(e.g.やる気、好奇心、欲求)をできるだけ多く出力し、同時にそのエネルギーを分散させてしまわないように注意する必要があります。

要するに、生命エネルギーをいかに溢れさせ、そしてそれをいかに一点に集中させられるか。これは主に「集中力」にかかっています。

強い精神|生の経験値を高めるために

また生の経験値を高めるには、日常の中からできるだけ多くのものを正確に学んでいく必要があります。そしてそのためには目の前の現実をありのままに受け入れられるだけの心の強さが求められます。

心が弱い人は経験から学べません(←たとえばこのことを理解できるかどうかも認識力の差)。守ることだけに必死になってしまいます。恐れや不安、先入観や言い訳を、できるだけ排除して現実と向き合わなければ、正確な“学習”はできません。

(この人の学説が正しいと「信じたい」、その邪心が学習の正確性を阻む。「あんな美女が僕に振り向いてくれるわけない」、その先入観が学習を阻む。「俺のビジネスが失敗したのは資金が足りなかったからだ」、その言い訳が学習やその正確性を阻む)

要するに、いかに純粋な心(無色透明な心)のままで現実と向き合い続けることができるか。これは主に「精神力」にかかっています。

集中力と精神力を高める|頭をよくする方法

センスのような天性のものと違い、力はトレーニングの繰り返しによって身に付いていきます。

集中力や精神力は、筋力と同じで、日々フルに使うこと。十分に使い、そして十分な栄養と十分な休息を取る。この繰り返しで鍛えていくことができるはずです。というか、それしか方法が無いんじゃないかなと思います。

まとめ

最後の息切れ感がハンパないですが、トレーニング方法として責任をもってここに書けるような方法も私は知らないので、ここで区切ってしまいます。

ちなみに上手く集中できない人は日常の中に運動を取り入れてみるのはおすすめです。体の作りにも個人差があります。学者になるような人の場合は元々、1日12時間座りっぱなしでも平気だったりする体をしている人が多いようですが、ほとんどの人はある程度体も動かさないと集中力はいまいち発揮できないんじゃないかなと思います。

以上です、
ではまた

 

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