選択性の拡大(と増大)について

選択性の拡大(と増大)について

私たちを取り巻く“情報”に関する環境は、ここ数年から10数年ぐらいの間に大きく変化しました。
リアルの人間関係のあり方も大きく変化し、それに伴って「リアルから得られる情報」も変化していますし、ましてやインターネットの登場と普及によって「ネット上から得られる情報・触れる情報」も日々変化し続けています。

どう変化しているのかというと、端的に言うとそれは「個別化」と表現できるかと思います。もう少し具体的に言うと「選択性の拡大および増大による、情報の個別化」です。

選択性の拡大とはつまり、私たちが何らかの情報に触れる場面における

  1. 場所性からの解放
  2. 同時性からの解放
  3. 自己編集性の拡大

を意味します。

場所性からの解放とは、携帯端末などの普及による「場所」の縛りからの解放です。どこに居てもいつもと同じように情報を受け取れるようになりました。

同時性からの解放とは、たとえば大容量のハードディスクの登場などによる「時間」の縛りからの解放です。ドラマの放送時間に家に居なくても、ハードディスクに録っておき、自分の好きなタイミングで放送を楽しむことができるようになりました。

自己編集性の拡大とは、受け手側の、コンテンツに対するコントロール能力の増大を意味します。テレビドラマの録画を観るのであれば、CMを飛ばして観ることができるようになりました。ネット上ではもっとはっきり、自分の好きなものだけを選択して、自分の好きな順に、閲覧したりストリーミング再生したりダウンロードしたり、できるようになりました。
「選択性の拡大と増大」の「増大」は、この自己編集性の拡大とほぼ同義です。

少し小難しい書き方をしましたが、以上のことをもっとざっくり簡単に言うと、こういうことです。
『人生の多くの時間を、好きな人や、自分の趣味や嗜好に合った情報にだけ触れて過ごすようになっている』と。

それを助ける道具としては、もちろんインターネットという存在はその代表格のようなものですが、もう少し具体的に言うと、様々なジャンルのブログやメディアの存在しかり、動画サイトしかり、SNSしかり、そしてオフラインでも、テレビのHDしかり、用がなければ会話もしないような地域社会しかり、「女性専用車両」や「分煙」「店舗型風俗への規制」などに代表される“隔離”が是認される風潮しかり、……。

「興味ないものには1分1秒たりとも触れていたくない」
「キモチワルイ人は視界に入るだけで不愉快」

こういうことを素で思うことができるほどに、私たちに与えられた選択性は拡大し、増大してきました。ひと昔前なら「あの辺には風俗店がある」と認識し、同時に無意識的に許容していたのが、今では「なにあの店、キモチワルイ」といって、街すらも自分たちで編集しようと(自己編集性の拡大)考える時代になっているのです。

情報の個別化

しかも同時に、サービスその他の供給側も、顧客の利便性を追求した結果、顧客それぞれに合わせた「個別化」が進んでいます。

外見は同じでも、その中に入っているアプリによって「できること」が大きく個別化されるスマートフォンは、「みんな持っている」とはいえ、その持っているものの中身がみんなそれぞれ全然違います。

もちろんインターネット上では、どんなブログを読むか、Twitter で誰をフォローするか、などは個人の好みによるのが大前提ですが、そこでも、たとえばSNSでは「おすすめユーザー」などがサービス側から提示され、膨大なユーザーのいるSNSの中でさえ、ビッグデータの解析からはじき出された「あなたの好みに合う情報(源)」にばかり自然と触れることになります。

また、今ではこの「情報の個別化」は、(残念なことに)Google の検索結果においてさえもそうなっています。同じキーワードで検索しても、人それぞれ表示される検索結果が違っているのです。ビッグデータで解析された「あなた」から高い評価を与えられているサイトが優先的に「あなた」に示されるようになっています。

統計上の「あなた」から逸れることが難しい時代

ビッグデータは、もちろん、私たち個人のパーソナリティを完全に把握することはできません。しかし、悲しいかな私たちは、ビッグデータが示す“傾向”に驚くほど合致している、つまり「あなた」という人間はビッグデータからはじき出される“傾向”によってほとんど定義できてしまうような、そういう生き物のようです。

どんな食べ物が好きか、何時頃に寝るか、朝はどんな気分か、休日は外に出たいタイプか、彼女はどの位の期間いないか、夏になったら・冬になったら何をしたいと思いだすか、母親との関係性はどんなものか、……。

男という生き物は、多くの人が「俺は、俺だ」と思いたい生き物です。仮に「ビッグデータはあなたを把握していて、あなたはビッグデータの予測通りに動く」なんてことを言われたら、無意識的に反発を覚える人がほとんどです。

ではなぜ私たち男子にはそういう本能がインプットされているのかといえば、それは恐らく「ユニーク性に価値がある」ことを本能的に理解しているから、なのではないでしょうか。

ユニーク(唯一)であることに価値がある

しかし現代人は、その逆を行っています。触れる情報の量は増えたかもしれないけれど、気付かないうちに視野が狭くなってしまっています。ビッグデータの示す通りの価値観や行動をする人間になり、すぐ隣りの人の価値観や行動すらも「理解できない」ような人間になりつつあります。

もちろんそんなでは、高い創造性を発揮することなどはほぼ不可能に近いと言ってもいいでしょう。
面白いことに、時代は逆に、これまでにないほどに創造力(creativity)を私たちに求めているのですが。

 

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