「話が面白い人」になるために – 普通の話を興味深い話に変える4つのコツ

「話が面白い人」になるために - 普通の話を興味深い話に変える4つのコツ

今より少しでも「この人の話は面白い」「この人と話していると楽しい」と思ってもらえるようなお喋りができるようになるには、どうしたらいいか。

普通の話を少しでも興味深い話に、それから何かを人に伝えたいときに相手にこちらの話に興味を持ってもらうための工夫として、参考になりそうなコツが、世界的ベストセラー『人を動かす』などで有名な D・カーネギーの著書『話し方入門』にありましたので紹介します。

体験に基づいた話から始める

  • 私たちはとりわけ、話し手の体験に基づいた話を聞きたいものです。(スピーチでは)こういう始め方をすればほとんど成功間違いなし。まず失敗する恐れはありません。
    – 1870年に私たちはティグリス川を下りました。バグダッドでガイドを雇い、その案内でペルセポリス、ニネベ、バビロンへと旅を続けました・・・


逆算的になりますが、私たちは日常の中に“体験”が多い人ほど話のネタがあるように思いますが、実はそれは「ネタがある」のではなくて「相手に関心を持ってもらえる話ができる」ということなのかもしれません。

ところで、なぜ体験話には相手の関心をひく力があるのか。

想像するに、もしかしたら体験話には相手に「まだ知らない刺激」を期待させる力があるのかもしれない、なんて風に思います。

期待できる体験話と、期待できない体験話の違い

たとえば、ゲームに興味のない私からすれば、友人に
「こないだ○○(ゲーム名)で××があってさ、〜〜」
なんて話をされてもまったく興味が湧きません。当然ですよね。
でも仮に、私がそのゲームが好きであれば、その話は興味深い話になるのもまた自然なことです。

他にも、たとえばテレビ番組の『ミヤネ屋』が好きな人に対して
「昨日のミヤネ屋でやってたんだけど、○○って××なんだって!」
と話し始めれば、きっとその相手は多少なりとも関心を持ってくれるであろうことが想像できます。

でもそれが、仮に『ミヤネ屋』を嫌いな人、「あんな番組テキトーなことばっかり言っててつまらない」と感じている人に対して同じように話し始めたら、どうか。恐らく相手の関心度はかなり低いであろうことが想像できます。

『ミヤネ屋』に限らなくても、たとえばテレビそのものを嫌っているようなタイプの人に対して
「昨日テレビで見たんだけど、〜〜」
なんて話し方をしてしまったら、どうか。その後に続く“ネタ”も台無しになるであろうことが想像できます。

相手にまだ知らない刺激を期待させるような入り方を、心がけたいものです。

ショックを与える

  • 優れた雑誌記事はショックの連続。
    – ニューヨークでハエが窓ガラスの上を歩く音をラジオで放送し、その音を中央アフリカでまるでナイアガラの滝のような轟音にして鳴り響かせることができることをご存知ですか?


好感度の高いタレントとして有名なベッキーが不倫していたとなれば、やっぱり興味をひかれます。別にベッキーそのものにはさっぱり関心なくたって、やっぱりなんか気になっちゃいます。相手は誰?って。もちろんそんなショックの大きいネタは普段なかなかあるものではありませんが。

2chまとめサイトのタイトル

2chまとめサイトのタイトルはショックの連続

とはいえこれは、ネタそのもののショックだけに限った話ではないように思います。普通の話をしていても、発想が面白いというか、意外性があるというか、「なるほど!確かに!」とか「そうとも言えるね!」みたく、「その発想はなかったわ感」によるショックでも同じじゃないでしょうか。

たとえばタレントで言えばダウンタウンの松ちゃんや、マツコ・デラックスみたく、頻繁にその発言がネット記事として取り上げられるようなタイプの人の発想・発言にも同じことが言えるのではないでしょうか。

他にも、これを書きながら思ったのですが、個人的に大好きなブラマヨ吉田さんのボケなんかもこれだなって思います。たとえば誰かの発言に対し「それって○○ってことですか?」とかのひと言で爆笑をさらっていきますが、言ってることは誰かの発言の1を100や1000に拡大解釈して衝撃的な発言かのように置き換える=ショックを生み出す、ことによって笑いを誘っていたりします。

聞き手の利益を考える

  • 私たちにとって最大の関心事は自分たち自身以外に何もない。
  • たとえば「南米ペルーではどのように遺言状をつくるか」なんて話には誰も関心がない。しかし「私たちの遺言状をどうつくるか」という話なら興味を覚える人がいる。
    同じ南米ペルーでの遺言状の書き方を紹介するにしても、読み手が自分自身の話、自分に役に立つ話として読めるような話に変換しなければ、誰にも関心を持ってもらえない。


たとえば「人としてどうあるべきか」なんて堅い説教をするのであれば、その前段階で「人間的に成長することが自分にどんな利益をもたらすか」を暗に認識させておかなければ意味がないというか、相手の心に響くことはないでしょう。

体験話やショックが興味を湧かせるからといって、自分の一日の行動をただ大げさに語ってみたところで、ほとんどの場合聞き手はつまらないと思います。

すべての話に相手にとっての利益がなきゃならないわけじゃないし、そもそも何が利益になるかということを考えだすとこれまたかなり厄介な難しい話になってくるのでアレなんですが。少なくとも、相手にまったく喜ばれないような話をとうとうと語るような愚は避けたいものです。

人気の評論家や解説者などはこの辺が優れているのかもしれませんね。専門家に語らせたら眠たくなってしまうような小難しい話でも、人気評論家が語ればバラエティの延長みたいなノリで視聴者が聞いていられるのは、「難しい話」を「私にとって役に立つ話」にうまく転換できているのかもしれません。

抽象的な表現を具体的な事実に変換する

  • 具体的に話すこと。一般論的な話に終始しない。
  • たとえば、「マルチン・ルターは少年時代『強情で手に負えない子供』だった」と言うのと、「マルチン・ルターが打ち明けた話だが、彼は先生に『午前中に15回』も鞭で打たれたそうだ」と言うのと、どちらの言い方のほうが面白いか。

    旧式の伝記作家は、誰それは「貧しいが正直な両親」から生まれたと書きます。新しいやり方なら次のように書くことでしょう。誰それの父はオーバーシューズを買う余裕もなく、雪が降ると、足が濡れたり冷えたりしないように、靴のまわりにぼろ布を巻きつけなければならなかった。しかし貧乏であるにもかかわらず、彼は決して牛乳を水で薄めて増やしたり、肺気腫の馬を健康な馬と偽って売ったりはしなかったと。こう書けば、彼の両親が「貧しいが正直」だったことがよくわかるのではないでしょうか。事実をはるかに興味深く表現しているのではないでしょうか。

    『国民の風俗、習慣、娯楽が残酷かつ野蛮であれば、その国の刑法規定も厳しいものになるだろう』こういう文章を書く代わりに、我々は次のように書くべきだ。『戦闘や闘牛や剣闘士の闘いを好む国民ほど、絞首刑や火あぶり、拷問といった残酷な刑を科すものだ』。


上記引用文内の「貧しいが正直な両親」と、それに続く書き換えバージョン。引き込まれ方が全然違ってきますね。

活字媒体やネット記事の見出しなんかでは、一つのテクニックとして具体的に書くということが意識されていますが、それは会話でも同じなんですね。当たり前といえば当たり前だけど、今まで気づきませんでした。

「育休議員が不倫してたらしいよ」よりも、「育休宣言してた議員いるじゃん?あいつ奥さんが出産入院してる間に自宅に巨乳タレント連れ込んでたらしいよ」の方が、やっぱり興味をひきますもんね。

まとめ

こういうのって、どんなに理屈で理解しても結局は普段の心がけというか、もっと雑談力を上げたいという想いの強さや、継続的な努力がなくては体得できないものだと思います。

ブログみたいな文字で伝えるものであれば見直したり修正したりしながら力をつけていけると思いますが、会話となると瞬間瞬間で流れていってしまうし、その時の自分の気分なんかもそのまま影響してしまうだろうから、「おもしろく話せる人になりたい!」って想いの強さと持続力こそが最大のカギになるような、そんな気がします。


以上です、
ではまた

 

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